聖女リリアは死ぬ運命にある

第15話 異変

2022.04.15 掲載

 リリアが目を白黒させていると、ガシャーンッとガラスの割れる音が響いた。

 ピタリと手を止めるグレイと、口に指を突っ込まれたまま不安げに視線を揺らすリリア。

 またひとつ、ガシャンっと、ガラスの割れる音がした。またひとつ、またひとつと、音が響き、いくつもの悲鳴がホールの中をつんざいた。

「ぼ、ぼふ……」

「リリア、いいから吐け」

「で、でましぇん……」

 情けなく眉を下げて、リリアは首を振った。

 そこに、袋と水を持ったシーカーが帰ってくる。

「何があった?」

「人が倒れてるすね。たぶん、同じように毒の入ったものが配られたのかもしれません」

「毒の発症時間は」

「わりと即効性だと思いますよ。俺も今、舌が痺れてるんで」

 グレイがシーカーから水を受け取って、リリアに飲ませる。

 リリアは水に溺れそうになりながら何とか飲み干した。

 そしてすぐさま口に指を突っ込まれそうになって、涙目になりながら身を引いた。

「オラ、口開けろ。毒で死ぬのとどっちがいい」

 いつの間にか、人がみんな倒れている。動いている人も数人いるが、動転しているのかパニックになっている。

 リリアは会場を見つめ、その惨たらしい状況に息を飲んだ。

 綺麗なドレスも、キラキラ光る宝石も、床に落ちてしまっている。

 苦しそうな人のうめき声があちこちから響いていて、まるで墓地の死者が蘇ったかのような不気味さだ。

「た、助けないと……」

「落ち着け。シーカー、人呼んでこい。おそらく外に手練がいる。バレるんじゃねェぞ」

「了解」

 リリアが瞬きをした次の瞬間には、シーカーの姿が消えていた。

「ええっ」

「うるせェ。声出すな。シーカーもウィングだってのは知ってんだろ」

「あ、そ、そうでした……」

「それよりリリア、本当に何ともねェのか」

「と、とくには」

「舌が痺れたり」

「いいえ」

「体が動かなくなったり」

「いいえ」

 リリアが首を振ると、グレイは形のいい眉を寄せた。

「とりあえず吐け」

「ええっ! じゃ、じゃあ、お手洗いに……」

「あァ? ンな悠長なこと言ってる場合か! 死ぬかもしれねェのがわかんねェのかっ?!」

 青筋を浮かべてグレイが怒鳴る。

「ご、ごめんなさい……」

「なら吐け。口開けろ。ったく、冗談だろ……。死神でもついてるってのかよ」

 口の中に指を突っ込まれながら、リリアはグレイを見た。焦燥しきっているように見えた。

 背後から迫る何かに、追い立てられているようにも見える。

「おや、まだ動ける人がいたとは……」

 穏やかで、でもどこか薄気味悪い声が聞こえた。グレイが庇うようにリリアの肩を抱く。

 リリアは声のしたほうに顔を向けて、目をまるくした。

「あなたは……」

「また、会いましたね。レディリリア。毒はお気に召しませんでしたか?」

 リリアが迷子になっているときに、一緒にグレイを探そうとしてくれた紳士だった。

「えぇと……」

「安心してください。毒と言っても痺れ薬ですよ。少し動けなくなるだけです」

 それを聞いてリリアはひとまずホッとした。

 そして、刺すような視線が注がれているのに気づいて、紳士の方を向く。バチンッと視線が絡むと、紳士はうっとりと顔を崩してリリアを見た。

「あなたのような美しい人は、はじめて見ました。その紫の瞳……まるで宝石のようだ。抉りとったらどれだけ美しいでしょう。あぁ、でもそれはもったいないですね」

 ぞわりと、リリアの背筋に悪寒が走る。

 細かく体を震わせながら、キュッと、グレイの服をつかんだ。

 紳士の瞳が、リリアからグレイに移った。同時に、にこやかな表情から仮面のような真顔へと変わる。

「グレイ・ベアードか……。厄介な人がいたもんだ」

「犯人直々にお出ましとはな」

「レディリリアを引取りに」

「あァ? 馬鹿言ってんじゃねェぞ」

「おや、毒は少量でも効果があるはずですよ。本当は、体が痺れてきているのでは?」

 リリアは驚いてグレイを見た。よく見れば、確かに額に皮脂が浮かんでいる。

「ぼ、ボス」

「いいから、下がってろ」

「でも……」

 リリアは不安げに言い淀む。

「レディリリア。取り引きをしませんか?」

「……え」

「あなたが大人しく着いて来るなら、ここにいる人には危害は加えません」

 リリアの瞳がゆれる。

「ですが、そうですねぇ。元々、女子どもは攫っていき、男は皆殺しの予定でした。もちろん、あなたが拒否するなら、当初の予定通り決行します」

 ニコリと、紳士的な笑みを浮かべて、男がリリアに手を差し出す。

「いかがです? レディリリア」

 リリアは音なく喘いだ。

 自分の命と、大勢の命を選べと言われているのだ。

「おい、リリア。行かなくていい」

 リリアはうつむいて、瞳を左右に揺らす。

「本当に、みなさんを助けてくださいますか?」

「おいっ、リリア!」

「もちろんです。約束しましょう」

 リリアは顔を上げる。瞳に強い決意を宿らせて。

「じゃあ、行きます」

 リリアは立ち上がった。毒だなんだと言っていたが、どこも変化はない。痛くもないし、痺れてもいない。

「……はっ、冗談だろ……。あの女の言う通りってことかよ」

 グレイが苛立たしげに舌打ちをした。

「おい、リリア」

 グレイが後ろからリリアの手をつかんだ。振り返ったリリアは息を飲む。

 グレイの青い瞳が、怒りの炎で真っ赤に染まっているように見えたからだ。

「おまえ、そうやって、後に残されるヤツのことを何も考えてねェってんなら、そりゃとんでもねえ偽善だ」

「偽善……?」

「信じちゃいなかったが、今のおまえを見てると、あの女の言ってたことがよくわかる」

「あの女って……」

「おまえは、何度、おまえの王子の心を殺した?」

 リリアは戸惑いを浮かべて、視線をゆらめかせる。

「意味が、わかりません……」

「俺だって知らねェよ」

 吐き捨てるように、グレイが舌打ちをした。

 そして、睨み据えるように、青い瞳でリリアを射抜く。

「おまえ、どうしても生きたいって言っただろうが」

 リリアは泣きそうな困り笑いをして、何も言わずに口を閉ざした。離されそうにない手を、じっと見つめる。

「うるさい人ですねぇ」

 痺れを切らしたらしい男が懐に手を入れ、ピストルを取り出した。グレイに標準を合わせ、引き金に手をかける。

 それを見たリリアは、とっさにグレイを庇おうと前に立った。

 両手を広げた瞬間、するりと脇の下に腕が絡みついて、守るように引き寄せられる。

 ふわりと体が浮き上がったのと同時に、銃声が響いた。