聖女リリアは死ぬ運命にある

第18話 恋愛初心者

2022.04.15 掲載

 リリアは大きく目を見開いた。そうして、たった今言われた言葉を、何度も何度も頭の中で反芻する。

 青い、透き通るような瞳が、リリアの出方をうかがっている。

 何か言わなければと思うのに、何を言ったらいいのかわからない。

 口に出すべき言葉を何度も考えて、そうして。

 リリアはグレイと視線を合わせたまま、乾いた唇を舌で濡らし、そっと口を開いた。

 声は、かすかに震えてしまっていた。

「え、と……。じょ、冗談、ですか……?」

 グレイの形のいい眉がピクリと動いた。

 青い瞳は細められて、いつもよりもいっそう鋭くなる。

「ぱ、パーティーのときは、恋人みたいにするって。でも、パーティーはもう終わってるんですよ。だから、そういうのは……」

 リリアがそう言った瞬間、リリアの左右の頬に、大きな手のひらが触れる。両手で頬を挟まれて、グイッと、無理やり上を向かされた。

 鼻先が触れそうなほど近くに、顔がある。作り物みたいに、綺麗な顔が。

「ゃ……ボス……」

「あァ、そうだよ。パーティーはもう終わってんだよ。本気で冗談だと思ったのか? 俺が冗談でそんなことを言うと?」

 怒ってる。

 ギラギラとした瞳が、リリアを突き刺す。

 反射的に身を引こうとするが、がっしりとリリアの顔を押さえつけているグレイの手は、そうやすやすと外れそうにない。

「無理やり解らせたほうがいいか? あァ?」

 グレイが顔をわずかに右に傾けて、目を細める。

 青い瞳の中に、燃えるような熱情が灯っていた。ゆらゆらと妖しく揺らめいて、リリアの思考を絡めとる。

 二人の距離が、ほんの少し、縮まる。

 唇と唇が重なる、手前。

 互いの吐息が触れ合うくらい近い距離で、グレイがジッと、リリアを見た。

「嫌がらねェのか」

「……っ」

 青い瞳が、つっと細くなる。

「本当にしちまうぞ。キス」

 かぁっとリリアの顔に熱が上った。

 できたのは、ただ、小さく首を横に振ることだけ。

 少しの沈黙のあと、ふっと、吐息だけで笑った気配がした。

 ほんのわずかに空いていた距離が、ゼロになる。

 唇を、少しだけ外れた場所。頬と唇の境目に、グレイの薄い唇が触れていた。

 そのまま滑るように唇は耳に流れて、リリアの頬を挟んでいた手は、抱き込むようにリリアの頭の後ろに回っていた。硬い左腕がリリアの頭を抱え、小さな耳のそばでは笑うような吐息が響く。

 あまりの近さに、リリアは目を回した。

「ばァか。しねえよ。無理やりなんざ」

「……はっ……ボス……」

 ようやく、リリアは呼吸をした。

 息を止めていたことも忘れてしまうくらい、青い瞳に吸い込まれていた。とろりとした、溶けそうな甘さの中に、揺るぎない確固たる意志を宿す瞳。

 リリアにはあまりにも、魅力的に見えた。

「冗談じゃねェって、わかったか」

 リリアはこくこくとうなずく。

 リリアの頭を抱き込んでいないグレイの右手が、リリアの髪をそっと耳にかけた。

「まァ、すぐにどうこうなろうなんて、思っちゃいねェさ」

 耳元で、くつくつと笑うような声が響く。

 鼓膜に直接息を吹きかけられているみたいで、落ち着かない。

「けどなぁ……」

 がぶりと耳に噛み付かれた。

 リリアはビクリと体を震わせ、食われかけのウサギのように固まって獣の気配をうかがう。

「逃げられると思うなよ」

 嘲笑うような声がかすめていった。

 心臓が、爆発を起こしたかのように、うるさく響いている。

 今起きた一瞬の出来事を、消化しきれない。

「ぼ、すは……」

「あ?」

「ど、どうして、私のことを?」

「好きになった理由が聞きてェってことか?」

「あ、あと、いつからとか……」

 グレイが遠くを見るように目を細めて首をかしげる。

「あー。理由ねェ」

「な、ないんですか?」

「いや、おまえだったから、としか言いようがねェ」

 リリアは目を瞬いた。

「最初は真面目で固くてめんどうなやつって思ってたな」

「うっ」

「それから、珍しい首輪をしてると思った」

「首輪……」

 リリアは聖女の証に触れる。外れないチョーカーは確かに首輪みたいだ。

「あとは、バカでお人好しでたまに頑固で……気づいたら惚れてたんだよ」

「気づいたら……」

「ああ。好きになるのなんてそんなもんだろ」

 リリアは自分の中にある気持ちをたどたどしく言葉にする。

「わ、私、好きがどういうのか、わからないんですけど。でも、ボスといると、変な気持ちになります」

「変?」

「し、心臓が、変になるんです」

 頰を赤らめるリリアの体に、グレイの体重が一気にのしかかる。

 潰れそうになりながら、後ろ向きにベッドへ倒れ込む。二人分の重みを受けて、ふわりと布団が羽根のように膨らんで舞った。

「ばァか」

「ぼ、ボス、重いですっ」

「ほんとに食っちまうぞ」

 グレイはリリアの手を取り、見せつけるかのごとく、がぶりと指先に歯を立てた。

 リリアはびくりと肩を跳ねさせ、逃れようと手を引く。

「ボ、ボスは、はじめて人を好きになったとき、どうやって気づいたんですか?」

 リリアがそう問いかけると、グレイは気まずそうな顔をした。

「ボス?」

「これが好きってやつかって、観念したような感じか?」

「そういう感じなんですね」

「言っとくけど、おまえに対してだぞ」

「え?」

「欲しいと思った女はおまえがはじめてだ、リリア」

 ちゅっと指先にキスされて、リリアは顔を真っ赤にする。

「ボス……っ」

「おまえがあっさり自分の身を差し出そうとしたとき、俺がどんな気持ちだったか、知らねェだろ」

「あ……」

 リリアはあのパーティーを思い出した。

 自分の命か、たくさんの人の命か。

 そう選択を迫られて、リリアはたくさんの人の命を選んだ。

 けれども。

「わ、私。あ、あのとき……」

「ん?」

「パーティーでボスに手をつかまれたとき。私は……すぐに手を振り払って、あの人のところに行かなきゃいけなかったのに……。なのに……」

 泣きそうに眉を下げて、リリアは苦笑する。

 どうしようもない自分を、叱ってほしい気持ちだった。

「私は……。ボスと一緒に生きたいって、そう、思ってしまったんです……。だから、すぐに手を振り払えなかった……。ボスがいたから。生きたいって、そう思って……」

 リリアの言葉がとぎれる。

 リリアに覆いかぶさったまま、グレイが親指でリリアの唇をなぞっていた。

「あー……リリア」

「は、はいっ」

 瞳にめいっぱいの情欲を含んで、グレイはリリアを見下ろした。

「キスしていいか?」

 リリアは息を飲んだ。

 大きな瞳に薄い膜を張って、キョロキョロと落ち着かない様子で視線をさまよわせる。

「いやか?」

「う……いや、じゃ、ない、です、けど……」

 リリアは迷って、やがて小さくうなずいた。

 うなずいているのかも怪しいかすかな動きだったけれども、グレイはニヤリと口端を上げて笑う。

 ゆっくり体が倒れてきて、リリアは身を固くする。

「ンなに警戒すんなって」

「だって、ボス……っ」

 羞恥に潤む瞳で見つめれば、グレイはうんと優しく目を細める。

「私、キスしたことないんで……」

「知ってる」

 リリアの言葉も食べるみたいに、くちびるが重なった。

 リリアは自分のものではない柔らかさに驚いて、反射的に逃れようとする。けれども、すぐに大きな手がリリアの頭を押さえつけて、落ち着かせるように優しく撫でていく。

 かすかな吐息がくちびるの隙間から溢れていった。

 くっついて、離れて、またくっつく。

 体の熱が上がって、頭にぼんやりと霧がかかっていく。すぐに終わると思っていたのに、ちっとも終わらない。

 物語で読んだキスは、軽く触れるだけのものだったのに。

 苦しくなってきて、トントンと、グレイの胸元を弱々しく叩く。けれども、その手が邪魔だと言わんばかりに、指先を絡めてベッドに押さえつけられた。

 もっと、もっと。

 そう、貪るように食いつかれて、リリアは首を仰け反らせながら拒絶した。

「ん……ゃ、ぼす……」

 ぎゅっとグレイの手を握ると、ハッとしたように離れていった。リリアは必死になって、足らない空気を吸い込む。

 黒髪をかき上げたグレイが、気まずそうにリリアを見下ろす。

「あー、悪い。理性飛びかけた。大丈夫か?」